ノムの話を鵜呑みにするのは危険だけど
ノムさんは本ではいいこと書いてるけど、実際本人が現場でやってる事にはその真逆の事もあるからなぁ。でも本に書いてること自体は間違いばかりでもないんで、避けて歩くようなものでもないかと。ま、2chをビビッて大袈裟に「悪の温床」みたいに考えてるような人にはおすすめできないけどね(ex.2chを「某大型掲示板」などとしか書けないetc)
で、何のことかといえば先日のエントリーの絡みで人間教育について、ノムの著書「巨人軍論」より少々。
川上さんが「人間教育に力を入れている」と聞いて私は、「なるほど」と思った。そして同時に、脅威を感じたものだ。
あれだけの選手が集まれば、優勝するのはそうむずかしいことではないだろう。しかし、勝ちつづけるとなると、話は別だ。連覇のためにいちばん気をつけなければいけないのは油断と気の緩みである。私自身、ヤクルト時代三回日本一になりながら次のシーズンはいずれも四位に落ち込んだ経験があるから、よくわかる。ほかのチームが束になって向かってくるのだから、今度はかんたんにはいかない。だからこそ、指揮官は「優勝は過去のこと。新たな気持ちで臨もう」と鼓舞するのだが、どうしても選手はホッとしてしまうのだ。そうならないためには、選手につねに上を目指すことを自覚させなければならない。努力する事の大切さを教え込まないといけない。そのために人間教育が必要なのである。
川上さんの有名なエピソードに、解説者時代に淡口憲治のことを「この選手は親孝行だから大成しますよ」と語ったというものがある。このエピソードは「親孝行と野球とどんな関係があるのだ」と川上さんのアナクロニズムを揶揄する意味で引用される事が多いが、私は「もっともだ」と感じ入ったものだ。
その選手が親孝行ならば、もっと野球が上手くなって給料を上げてもらい、親に楽をさせてやろうと考えるだろう。素直な性格で、監督やコーチのアドバイスにも積極的に耳を傾けるはずだ。これで成長しないわけがない。おそらく川上さんはそう考えたのだと私は思う。
私も同感である。親孝行とは、言い換えれば感謝の心である。感謝の心こそが人間としての出発点であり、成長していくうえでもっともたいせつなものだ。そして、そうしたひとりひとりの成長の集大成がチームとしての発展につながっていくというのが私の持論である。だからこそ、選手の「人づくり」が監督の仕事のなかで大きなウェイトを占めると私は考えている。
川上さんは、油断やうぬぼれの怖さ、勝負の怖さを誰よりも知っておられたのだろう。当時のキャッチャーだった森昌彦氏の話では、川上さんは選手との会話や説教では野球の話はほとんどせずに、そうした人間としての教育に多くの時間を割いていたそうだ。それを聞いて、私は巨人の強さの一端が理解できた気がしたのである。
で、何のことかといえば先日のエントリーの絡みで人間教育について、ノムの著書「巨人軍論」より少々。
川上さんが「人間教育に力を入れている」と聞いて私は、「なるほど」と思った。そして同時に、脅威を感じたものだ。
あれだけの選手が集まれば、優勝するのはそうむずかしいことではないだろう。しかし、勝ちつづけるとなると、話は別だ。連覇のためにいちばん気をつけなければいけないのは油断と気の緩みである。私自身、ヤクルト時代三回日本一になりながら次のシーズンはいずれも四位に落ち込んだ経験があるから、よくわかる。ほかのチームが束になって向かってくるのだから、今度はかんたんにはいかない。だからこそ、指揮官は「優勝は過去のこと。新たな気持ちで臨もう」と鼓舞するのだが、どうしても選手はホッとしてしまうのだ。そうならないためには、選手につねに上を目指すことを自覚させなければならない。努力する事の大切さを教え込まないといけない。そのために人間教育が必要なのである。
川上さんの有名なエピソードに、解説者時代に淡口憲治のことを「この選手は親孝行だから大成しますよ」と語ったというものがある。このエピソードは「親孝行と野球とどんな関係があるのだ」と川上さんのアナクロニズムを揶揄する意味で引用される事が多いが、私は「もっともだ」と感じ入ったものだ。
その選手が親孝行ならば、もっと野球が上手くなって給料を上げてもらい、親に楽をさせてやろうと考えるだろう。素直な性格で、監督やコーチのアドバイスにも積極的に耳を傾けるはずだ。これで成長しないわけがない。おそらく川上さんはそう考えたのだと私は思う。
私も同感である。親孝行とは、言い換えれば感謝の心である。感謝の心こそが人間としての出発点であり、成長していくうえでもっともたいせつなものだ。そして、そうしたひとりひとりの成長の集大成がチームとしての発展につながっていくというのが私の持論である。だからこそ、選手の「人づくり」が監督の仕事のなかで大きなウェイトを占めると私は考えている。
川上さんは、油断やうぬぼれの怖さ、勝負の怖さを誰よりも知っておられたのだろう。当時のキャッチャーだった森昌彦氏の話では、川上さんは選手との会話や説教では野球の話はほとんどせずに、そうした人間としての教育に多くの時間を割いていたそうだ。それを聞いて、私は巨人の強さの一端が理解できた気がしたのである。
【日刊】ハムに平成教育委員会、中田ら徹底指導
【スポニチ】ノーモア中田翔!ハム2軍に鬼のお目付け役
この報道については2度目の記事となりますが、先に引用したノムの言葉の後ではやはり間違っていないと私は思います。
これは今週月曜(12月22日)深夜のuhb「Fの炎」で稲葉と金子誠が話していたが、納会の際に今年のルーキーの内、高卒の選手が一人も酌に来なかったという。このことに稲葉はその高卒ルーキーを集めて説教、金子誠はニヤニヤと怒りを抑えて眺めていたという。その後、彼らの先輩である鵜久森も若手を集めて説教していたらしいが、「お前らがしっかりしてないから若いのもだらしない」そういう稲葉に私も同感である。
これは一般の会社ではまず常識、新年会なり会社の飲み会なら上司や先輩に酌をして「よろしくお願いします」とやるものだ。そしてそういう礼儀を知らない若手には彼らより多少先輩の若手が指導するものだ。礼儀を知らなかった若手は仕方の無い部分もある、しかし後からとって付けたような説教をした鵜久森やその他同年代の若手の責任はもっと大きい。そして彼らがそうなってしまった責任は誰にあるのだろうか?
こうした高卒ルーキーの中で何人かは志半ばで野球界を離れ、一般社会に生きることになるかもしれない。その時に20代半ばや後半でこうしたことが出来ないとなれば、「野球選手は常識が無い」と言われてしまう、野球界自体がダメージを受けることになる。
そして社会人として当たり前の事を当たり前にできないと言うことは、社会人としての当たり前の価値観・常識の欠如につながる。そうなると社会人としてやっていい事や悪い事の判断、そして中身は違えど社会人として常に行なうべき生活の為の努力を怠る事にもつながりかねない。こうしたところを社会人としての”研修期間”に指導してもらえない事は彼らにとって大きな損失である事は前回書いた。
で、ノムのお話。この報道がもしノムの耳に入っていたならば、彼は一体どう思うだろうか?川上監督に感じたように脅威を覚えてくれるだろうか。以前からハム球団は選手の人間性と言うのは重要視しており、査定にも他球団より大きな割合で含まれているように思われる。
ここで誤解なきように付け加えておくと、決して素行に問題のある選手を獲得しないという意味ではない。現時点で問題のある無しではなく、本人に改善しようと言う意思があるかないか、そういう事のように思う。勿論問題がありすぎるような選手は獲らないだろうが。
よく人間性主体の選手評価に反対的に「野球選手なんて多少荒くれのほうが結果を出す」とか「結果さえ出せば人間性なんて問題ではない」と言う声もある。しかしそれは違う。例えばチームの顔となる選手がどうしようもないDQNだったら他の選手はどう思うだろう?そしてチームの指揮に間違いなく影響を及ぼす。負けても悔しいと思わない、勝てなくても怪我をせずにいればいい、上から見て一生懸命やってるように見えれば良い。そしてチームは勝ちに行く集団ではなくなる。野球選手ではなく野球芸人、プロ野球チームではなく野球劇団になってしまう。劇的な試合の連続を賞賛するように喩える劇団では無く、野球を題材とした劇を演じる劇団だ。
ここで少し首を傾げる人はいると思う。シーズン中敗戦の度にチームに対して罵倒・侮辱の限りを尽くしてきた一部のファンに私は異を唱え続けてきたし、これからもそのつもりだ。そのことに対し「勝てないチームに異を唱えないのは勝って欲しいと願っていない証拠だ」という言葉を吐く人もいた。
私がチームを決して罵倒・侮辱したくないのはチームに対する敬意である。勝つための努力と言うのは我々ファンが言うまでも無く球団が、監督以下コーチ選手の各員が日頃行なって当たり前の事であると思うし、行なっていると私は信じている。その結果が偶々勝ったとか負けたということであるだけで、私は彼らが努力を怠っているとは思わない。他のチームだって同様の努力を積んでいればこちらが負ける事だってありえる訳だし。
即ち、そうして球団に対して行なわれる侮辱や罵倒の数々は各員の努力を全否定するものであると思うのだ。本人らは罵倒・侮辱の限りを批判だ檄だといって聞かないが、私は彼らは何故そこまで球団下の各員を信じてやれないものかと不思議に思う。
結果はどうあっても努力を尽くし、人間として全てを尽くしているであろう人間を私は否定する気にはなれない。だからああいう類の罵倒や侮辱が許せないのだ。決して「負けても良い」と思っているわけではない。寧ろ各員を信じようとしない彼らのほうが勝つことを諦めているようにも思う。
脱線した、話を戻す。ノムはかつて川上さんの人間教育に感心し、脅威も覚えたという。だが今回の二軍教育係の新設はそれ以上に、一監督の方針ではなく球団そのものの方針として人間教育に力を入れていくものと私は思う。決して裕福ではない(かといって特別貧乏でもないが)ハム球団なりに優れた選手を育成して強い球団であろうと言うことではないだろうか。
「そういうのは専属の係を設けなくても、先輩たるコーチや選手が態度で示したり指導なりしていけばいい」と言う声もあるが、コーチにはそれぞれ受け持つ仕事があるし、選手も自分の仕事が当然優先となる。そういった中で忙しくもなれば後輩の面倒見も手薄となるし、そっちに気を取られれば選手育成や個人の鍛錬に支障をきたす可能性もある。先輩選手やコーチの負担を軽減し、かつ人間教育も強化できる。三方が1両どころか10両も20両も得をするのではないだろうか。
人間教育が徹底すれば選手は皆今以上に努力を積み、そのためには素直に純粋になる。そして純粋なれば結果を出した時にファンは勿論球団に感謝の気持ちを忘れなくなる。結果としてチームへの愛着が増して、より一層チームを勝てる集団にすべく努力を積むようになる。後輩とも基本は競争ながら、チームの為ならば指導や監督の気持ちも出てくる。
人間力を鍛え上げれば普段の言動も模範的になる。チームへの愛着があれば普段から自分がチームの看板を背負って歩いているという自覚が芽生え、軽率な行動を控えるようにもなる。彼らと日常接する一般人は僅かなれど、そこで「ハムの選手は非常に行儀がいい」となれば「ハムの人間教育が素晴らしい」という評判も生まれよう。そうなれば球団の営業面で有利なのは勿論の事、新人獲得においても有利となることは間違いない。
このように人間教育に力を入れることは百利あって一害無しなのだ。このことはかつての強豪球団を見ても明白である。西武が常勝軍団であった時の清原はどうだったか、その後の清原はどうだったか。読売の選手にしても川上監督指揮下の時代とそれ以降の時代ではどう違うか。あのような黄金時代を築く球団が現れないのは、表面的な性能のみに注目して人間力を軽視してきたことの現われだったのではないだろうか。たまたま優れた人間に育った選手はいても、球団によってそう育てられた選手と言うのはいまや数えるほどしか居ないのではないだろうか。
そうした選手を意図的に育成することは、短期的な成績ではなく10年単位でのチーム力の底上げにつながるものだと私は思う。願わくば二軍の教育係だけではなく、一軍でも相談係のような担当コーチが居れば磐石と私は考えるのだが。
こうしたことは人間として当たり前のことではある。だが努力なくして当たり前は当たり前ではあり得ない。蛇口を捻れば当然のように流れる水も、多くの人の力と心が注がれているということを忘れずに。
【スポニチ】ノーモア中田翔!ハム2軍に鬼のお目付け役
この報道については2度目の記事となりますが、先に引用したノムの言葉の後ではやはり間違っていないと私は思います。
これは今週月曜(12月22日)深夜のuhb「Fの炎」で稲葉と金子誠が話していたが、納会の際に今年のルーキーの内、高卒の選手が一人も酌に来なかったという。このことに稲葉はその高卒ルーキーを集めて説教、金子誠はニヤニヤと怒りを抑えて眺めていたという。その後、彼らの先輩である鵜久森も若手を集めて説教していたらしいが、「お前らがしっかりしてないから若いのもだらしない」そういう稲葉に私も同感である。
これは一般の会社ではまず常識、新年会なり会社の飲み会なら上司や先輩に酌をして「よろしくお願いします」とやるものだ。そしてそういう礼儀を知らない若手には彼らより多少先輩の若手が指導するものだ。礼儀を知らなかった若手は仕方の無い部分もある、しかし後からとって付けたような説教をした鵜久森やその他同年代の若手の責任はもっと大きい。そして彼らがそうなってしまった責任は誰にあるのだろうか?
こうした高卒ルーキーの中で何人かは志半ばで野球界を離れ、一般社会に生きることになるかもしれない。その時に20代半ばや後半でこうしたことが出来ないとなれば、「野球選手は常識が無い」と言われてしまう、野球界自体がダメージを受けることになる。
そして社会人として当たり前の事を当たり前にできないと言うことは、社会人としての当たり前の価値観・常識の欠如につながる。そうなると社会人としてやっていい事や悪い事の判断、そして中身は違えど社会人として常に行なうべき生活の為の努力を怠る事にもつながりかねない。こうしたところを社会人としての”研修期間”に指導してもらえない事は彼らにとって大きな損失である事は前回書いた。
で、ノムのお話。この報道がもしノムの耳に入っていたならば、彼は一体どう思うだろうか?川上監督に感じたように脅威を覚えてくれるだろうか。以前からハム球団は選手の人間性と言うのは重要視しており、査定にも他球団より大きな割合で含まれているように思われる。
ここで誤解なきように付け加えておくと、決して素行に問題のある選手を獲得しないという意味ではない。現時点で問題のある無しではなく、本人に改善しようと言う意思があるかないか、そういう事のように思う。勿論問題がありすぎるような選手は獲らないだろうが。
よく人間性主体の選手評価に反対的に「野球選手なんて多少荒くれのほうが結果を出す」とか「結果さえ出せば人間性なんて問題ではない」と言う声もある。しかしそれは違う。例えばチームの顔となる選手がどうしようもないDQNだったら他の選手はどう思うだろう?そしてチームの指揮に間違いなく影響を及ぼす。負けても悔しいと思わない、勝てなくても怪我をせずにいればいい、上から見て一生懸命やってるように見えれば良い。そしてチームは勝ちに行く集団ではなくなる。野球選手ではなく野球芸人、プロ野球チームではなく野球劇団になってしまう。劇的な試合の連続を賞賛するように喩える劇団では無く、野球を題材とした劇を演じる劇団だ。
ここで少し首を傾げる人はいると思う。シーズン中敗戦の度にチームに対して罵倒・侮辱の限りを尽くしてきた一部のファンに私は異を唱え続けてきたし、これからもそのつもりだ。そのことに対し「勝てないチームに異を唱えないのは勝って欲しいと願っていない証拠だ」という言葉を吐く人もいた。
私がチームを決して罵倒・侮辱したくないのはチームに対する敬意である。勝つための努力と言うのは我々ファンが言うまでも無く球団が、監督以下コーチ選手の各員が日頃行なって当たり前の事であると思うし、行なっていると私は信じている。その結果が偶々勝ったとか負けたということであるだけで、私は彼らが努力を怠っているとは思わない。他のチームだって同様の努力を積んでいればこちらが負ける事だってありえる訳だし。
即ち、そうして球団に対して行なわれる侮辱や罵倒の数々は各員の努力を全否定するものであると思うのだ。本人らは罵倒・侮辱の限りを批判だ檄だといって聞かないが、私は彼らは何故そこまで球団下の各員を信じてやれないものかと不思議に思う。
結果はどうあっても努力を尽くし、人間として全てを尽くしているであろう人間を私は否定する気にはなれない。だからああいう類の罵倒や侮辱が許せないのだ。決して「負けても良い」と思っているわけではない。寧ろ各員を信じようとしない彼らのほうが勝つことを諦めているようにも思う。
脱線した、話を戻す。ノムはかつて川上さんの人間教育に感心し、脅威も覚えたという。だが今回の二軍教育係の新設はそれ以上に、一監督の方針ではなく球団そのものの方針として人間教育に力を入れていくものと私は思う。決して裕福ではない(かといって特別貧乏でもないが)ハム球団なりに優れた選手を育成して強い球団であろうと言うことではないだろうか。
「そういうのは専属の係を設けなくても、先輩たるコーチや選手が態度で示したり指導なりしていけばいい」と言う声もあるが、コーチにはそれぞれ受け持つ仕事があるし、選手も自分の仕事が当然優先となる。そういった中で忙しくもなれば後輩の面倒見も手薄となるし、そっちに気を取られれば選手育成や個人の鍛錬に支障をきたす可能性もある。先輩選手やコーチの負担を軽減し、かつ人間教育も強化できる。三方が1両どころか10両も20両も得をするのではないだろうか。
人間教育が徹底すれば選手は皆今以上に努力を積み、そのためには素直に純粋になる。そして純粋なれば結果を出した時にファンは勿論球団に感謝の気持ちを忘れなくなる。結果としてチームへの愛着が増して、より一層チームを勝てる集団にすべく努力を積むようになる。後輩とも基本は競争ながら、チームの為ならば指導や監督の気持ちも出てくる。
人間力を鍛え上げれば普段の言動も模範的になる。チームへの愛着があれば普段から自分がチームの看板を背負って歩いているという自覚が芽生え、軽率な行動を控えるようにもなる。彼らと日常接する一般人は僅かなれど、そこで「ハムの選手は非常に行儀がいい」となれば「ハムの人間教育が素晴らしい」という評判も生まれよう。そうなれば球団の営業面で有利なのは勿論の事、新人獲得においても有利となることは間違いない。
このように人間教育に力を入れることは百利あって一害無しなのだ。このことはかつての強豪球団を見ても明白である。西武が常勝軍団であった時の清原はどうだったか、その後の清原はどうだったか。読売の選手にしても川上監督指揮下の時代とそれ以降の時代ではどう違うか。あのような黄金時代を築く球団が現れないのは、表面的な性能のみに注目して人間力を軽視してきたことの現われだったのではないだろうか。たまたま優れた人間に育った選手はいても、球団によってそう育てられた選手と言うのはいまや数えるほどしか居ないのではないだろうか。
そうした選手を意図的に育成することは、短期的な成績ではなく10年単位でのチーム力の底上げにつながるものだと私は思う。願わくば二軍の教育係だけではなく、一軍でも相談係のような担当コーチが居れば磐石と私は考えるのだが。
こうしたことは人間として当たり前のことではある。だが努力なくして当たり前は当たり前ではあり得ない。蛇口を捻れば当然のように流れる水も、多くの人の力と心が注がれているということを忘れずに。
テーマ : 北海道日本ハムファイターズ
ジャンル : スポーツ










































