エースナンバー
先日こんな記事を書きまして・・・
ナンバーズ(11月7日)
その中で・・・
ですから、岩本や河野は別にしても、移籍選手に預けられる番号というのはちょっとエースナンバーとしての重みは無いんじゃないでしょうかね?やはり・・・そりゃ移籍してきてエース球の活躍をする選手というのは居るでしょうけど、そうではなくチームが最初から、ドラフトで指名してプロ1年生から育てた投手、そういう投手に与える番号、受け継がれる番号では無いでしょうかね?それを考えるとやはりハムの場合は18ではなく21だなぁ、と。
・・・などと書いてしまっていたんですが・・・スイマセン!本当に知らない事がまだ多いですね、私は。21番も移籍選手がつけていた時期があったのですよ。本当にろくに調べずイメージだけで語ってしまい、古くからのファンの方には非常に不快な思いをさせてしまいました。誠に申し訳御座いません。
ナンバーズ(11月7日)
その中で・・・
ですから、岩本や河野は別にしても、移籍選手に預けられる番号というのはちょっとエースナンバーとしての重みは無いんじゃないでしょうかね?やはり・・・そりゃ移籍してきてエース球の活躍をする選手というのは居るでしょうけど、そうではなくチームが最初から、ドラフトで指名してプロ1年生から育てた投手、そういう投手に与える番号、受け継がれる番号では無いでしょうかね?それを考えるとやはりハムの場合は18ではなく21だなぁ、と。
・・・などと書いてしまっていたんですが・・・スイマセン!本当に知らない事がまだ多いですね、私は。21番も移籍選手がつけていた時期があったのですよ。本当にろくに調べずイメージだけで語ってしまい、古くからのファンの方には非常に不快な思いをさせてしまいました。誠に申し訳御座いません。
で、21を着けていた移籍選手と言いますのは、高橋直樹が広島に移籍後、高橋直とは別口?でやはり広島からやってきた高橋里志(高橋直は江夏豊とのトレード、高橋里はその直前に佐伯和司とトレード、Wikipedia参照)が着けまして。
その高橋里は4シーズンハムに在籍しまして近鉄へ移籍、その後も中日から移籍の三沢淳が2年間21を着けて、その後がトレンディエースの西崎となる訳です。
高橋里志氏は昭和42年ドラフト4位で南海に入団。しかし野村兼任監督との確執もあり広島へ放出。広島では昭和52年に20勝をあげてセリーグ最多勝に輝くも、南海時代の野村克也氏との確執か"野村シンパ"の江夏を嫌い、その江夏を重用する古葉監督への不満からトラブルを起こし、ハムへのトレードとなりまして。
ハムへのトレードが決まった際には御本人、「これで江夏とオサラバだ!」と喜んだようですが、その後江夏もハムに来てしまったというのは最早漫画の世界です。ヒラマツ・ミノルあたりが描きそうな。
そんな高橋里志さんのハム時代といえば、昭和57年に防御率1.84でその年のパリーグ最優秀防御率に輝いているのですが、勝ち星は8。尤も先発13に対して登板数は29、広島時代は先発としての起用が殆どのようでしたが、ハムに来てからは先発も中継ぎもこなすユーティリティーとしての起用のようで、エースナンバーにふさわしいかというと少し微妙な感じはします。
高橋里志の次の三沢淳氏はアンダースローの投手で、中日時代は中心選手として活躍。現在読売の監督をされている原辰則氏のプロ初打席の対戦相手でもあります(結果は二飛)。ハムに来てからは登板数がガクンと落ち、1年目が15試合、2年目は5試合のみの登板に留まり、同年引退。因みに浜田市立第一中学校の1年後輩が、現在のハム監督・・・梨田昌孝監督だったりします。
で、21番。高橋直樹さんの前には土橋正幸さんが着けておられたのですが、その土橋さんの前はというと、主に野手の方が着けていた番号なのですよ。
球団創設時(セネタース)の昭和21年には清水善一郎内野手、昭和23年には関口義雄内野手、昭和24年には上林繁次郎捕手、昭和27年の1年間は山本光一投手ですが、翌28年からは大畑庄作捕手(昭和32年は内野手)、そして昭和33年になって土橋正幸投手となる訳です。
では、土橋さんが21番を着ける以前のエースは何番を背負っていたか?球団創設当初のエース格は白木義一郎氏と言ってもいいでしょうか?となると当時のエースナンバーはなんと18番ということになります。ただ、白木さんの次のエース格である米川泰夫氏は19をつけていまして、エースナンバー18もまずは1代限りという形。
米川さんの19はその後何人か挟んで尾崎行雄氏がつけられまして、土橋とのダブルエースとして19番と21番が並び立っていた時代もありました。
恐らく当時は背番号を大事に受け継ぐとか、そういう意識はあまりなかったのでしょう。なので初代エースの白木さんの18がエースから離れていったり、野手が着けていた番号を背負った土橋さんがエースとして大活躍されたりしたわけで。ただ、18番はやはりその後も好投手が背負っている、(多分)一貫して投手の背番号という事で、それなりには配慮しているのかなぁ・・・と。
例えば土橋さんの入団時に18番を土橋さんに着けさせていたら・・・或いは尾崎さんに着けさせていたら・・・高橋直樹さんに着けさせていたら、歴史はまた違ったんでしょうね。ただ、やはり野手の番号だった21番をエースナンバーに高めた土橋さんと高橋直樹さんというのは、とんでもなく偉大な先輩なのだなと思います。
さて18番。やはり一般的なエースナンバーという認識はハム球団にもあるようで、河野博文氏が昭和59年のドラフト1位で入団しますと、河野さんに18番を預けます。しかしその2年後には"トレンディエース"西崎幸広氏が入団、球団エースナンバーの21を拝領すると、2年目の昭和63年からの10年間で10度の開幕投手を務めるなど、まさに"スーパーエース"として大活躍、18番のエースナンバー復活計画は上手くいかなかったようで。
その後、河野さんが読売へ移籍すると、入団当時から「18番が欲しい!」と強請り続けていた岩本が、入団当初の20番より一時は38番に変更されながらも、ようやく18番の背番号を得ます。
その後5回の開幕投手、平成10年と11年には2年連続開幕戦完封勝利を飾るなど意気込みは充分でしたが、18番を背負った後の10年間で二桁勝利は3度しかなく、また負傷等もあり2000年以降は二桁勝利できず、やや18番としても岩本としても不本意に終わってしまいました。
その後18番は2年のブランクを経てヤクルトから移籍の藤井に。これはちょっと失敗だったかなぁ?と今では思いますが、斎藤佑が「藤井先輩の着けていた番号なので」と言ってくれたりしているので、結果としては良かったかな?とも思います。私としてはやはり移籍選手には・・・という気持ちが、まして退団のし方がし方ですし。
そして18番を引き継ぐであろう斎藤佑樹。幾度の試みも失敗した、18番のエースナンバー化計画。達成するにはまさに適材と言えるでしょうが、河野の時に西崎が居たように、今は11番に"スーパーエース"への道を歩むダルビッシュが居ます。そのダルビッシュと最低でも並び立つ、出来れば追い越す活躍が出来なければ、18番をエースナンバーとして確立するのは難しいでしょう。
逆に言えば、18番がエースナンバーになるほどの活躍ができていれば、ダルビッシュ級のスーパーエースが2人も揃う事になる訳ですし、仮にダルビッシュが退団してもエース不在とはならない訳です。ここは是非、斎藤佑には18番をセネタース時代の白木さん以来の球団エースナンバーにしていただきましょう。
ダルの11番。平成19年から今年まで4年連続で開幕投手を務めており、これは昭和63年~平成3年までの西崎と並ぶ球団記録であります。おそらく来季も余程の事がなければ開幕はダルでしょうし、そうなると新記録の5年連続となります。
また、そうなると5度目の開幕投手ともなり、米川さん、高橋直樹さんと並んで球団第2位の回数となります。ここは是非とも再来年も務めていただいて、単独2位になって欲しいものです。西崎の8回は流石ですが、其処に少しでも近付ければ・・・8回務めるまでいてくれるかはかなり微妙でありますが。
また、今後斎藤佑がエース級の活躍を見せてくれるとなれば、前年度の成績やキャンプ&オープン戦の調子如何では斎藤佑が務める事も考えられ、ダルの開幕投手というのも難しくなっていくかもしれません。

おい!アレだ!アレするぞ!
明日のエースは君だ!何度も言うが、背負った番号が自分のエース番号だ!21番は土橋・高橋直樹が、11番はダルビッシュが彼らの腕1本でエースナンバーにまで高めていった。ならば18番も斎藤佑が腕1本でエースナンバーにする事だって出来る!
かつて21番の土橋と19番の尾崎でダブルエースであったように、11番のダルビッシュと18番の斎藤佑でダブルエースといわれるように、まずは斎藤佑がその位置まで登らないとな。
他球団だが、66番のエースには是非とも再びエースとしてマウンドに戻ってきて欲しい。かっこいいじゃない、66番。



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その高橋里は4シーズンハムに在籍しまして近鉄へ移籍、その後も中日から移籍の三沢淳が2年間21を着けて、その後がトレンディエースの西崎となる訳です。
高橋里志氏は昭和42年ドラフト4位で南海に入団。しかし野村兼任監督との確執もあり広島へ放出。広島では昭和52年に20勝をあげてセリーグ最多勝に輝くも、南海時代の野村克也氏との確執か"野村シンパ"の江夏を嫌い、その江夏を重用する古葉監督への不満からトラブルを起こし、ハムへのトレードとなりまして。
ハムへのトレードが決まった際には御本人、「これで江夏とオサラバだ!」と喜んだようですが、その後江夏もハムに来てしまったというのは最早漫画の世界です。ヒラマツ・ミノルあたりが描きそうな。
そんな高橋里志さんのハム時代といえば、昭和57年に防御率1.84でその年のパリーグ最優秀防御率に輝いているのですが、勝ち星は8。尤も先発13に対して登板数は29、広島時代は先発としての起用が殆どのようでしたが、ハムに来てからは先発も中継ぎもこなすユーティリティーとしての起用のようで、エースナンバーにふさわしいかというと少し微妙な感じはします。
高橋里志の次の三沢淳氏はアンダースローの投手で、中日時代は中心選手として活躍。現在読売の監督をされている原辰則氏のプロ初打席の対戦相手でもあります(結果は二飛)。ハムに来てからは登板数がガクンと落ち、1年目が15試合、2年目は5試合のみの登板に留まり、同年引退。因みに浜田市立第一中学校の1年後輩が、現在のハム監督・・・梨田昌孝監督だったりします。
で、21番。高橋直樹さんの前には土橋正幸さんが着けておられたのですが、その土橋さんの前はというと、主に野手の方が着けていた番号なのですよ。
球団創設時(セネタース)の昭和21年には清水善一郎内野手、昭和23年には関口義雄内野手、昭和24年には上林繁次郎捕手、昭和27年の1年間は山本光一投手ですが、翌28年からは大畑庄作捕手(昭和32年は内野手)、そして昭和33年になって土橋正幸投手となる訳です。
では、土橋さんが21番を着ける以前のエースは何番を背負っていたか?球団創設当初のエース格は白木義一郎氏と言ってもいいでしょうか?となると当時のエースナンバーはなんと18番ということになります。ただ、白木さんの次のエース格である米川泰夫氏は19をつけていまして、エースナンバー18もまずは1代限りという形。
米川さんの19はその後何人か挟んで尾崎行雄氏がつけられまして、土橋とのダブルエースとして19番と21番が並び立っていた時代もありました。
恐らく当時は背番号を大事に受け継ぐとか、そういう意識はあまりなかったのでしょう。なので初代エースの白木さんの18がエースから離れていったり、野手が着けていた番号を背負った土橋さんがエースとして大活躍されたりしたわけで。ただ、18番はやはりその後も好投手が背負っている、(多分)一貫して投手の背番号という事で、それなりには配慮しているのかなぁ・・・と。
例えば土橋さんの入団時に18番を土橋さんに着けさせていたら・・・或いは尾崎さんに着けさせていたら・・・高橋直樹さんに着けさせていたら、歴史はまた違ったんでしょうね。ただ、やはり野手の番号だった21番をエースナンバーに高めた土橋さんと高橋直樹さんというのは、とんでもなく偉大な先輩なのだなと思います。
さて18番。やはり一般的なエースナンバーという認識はハム球団にもあるようで、河野博文氏が昭和59年のドラフト1位で入団しますと、河野さんに18番を預けます。しかしその2年後には"トレンディエース"西崎幸広氏が入団、球団エースナンバーの21を拝領すると、2年目の昭和63年からの10年間で10度の開幕投手を務めるなど、まさに"スーパーエース"として大活躍、18番のエースナンバー復活計画は上手くいかなかったようで。
その後、河野さんが読売へ移籍すると、入団当時から「18番が欲しい!」と強請り続けていた岩本が、入団当初の20番より一時は38番に変更されながらも、ようやく18番の背番号を得ます。
その後5回の開幕投手、平成10年と11年には2年連続開幕戦完封勝利を飾るなど意気込みは充分でしたが、18番を背負った後の10年間で二桁勝利は3度しかなく、また負傷等もあり2000年以降は二桁勝利できず、やや18番としても岩本としても不本意に終わってしまいました。
その後18番は2年のブランクを経てヤクルトから移籍の藤井に。これはちょっと失敗だったかなぁ?と今では思いますが、斎藤佑が「藤井先輩の着けていた番号なので」と言ってくれたりしているので、結果としては良かったかな?とも思います。私としてはやはり移籍選手には・・・という気持ちが、まして退団のし方がし方ですし。
そして18番を引き継ぐであろう斎藤佑樹。幾度の試みも失敗した、18番のエースナンバー化計画。達成するにはまさに適材と言えるでしょうが、河野の時に西崎が居たように、今は11番に"スーパーエース"への道を歩むダルビッシュが居ます。そのダルビッシュと最低でも並び立つ、出来れば追い越す活躍が出来なければ、18番をエースナンバーとして確立するのは難しいでしょう。
逆に言えば、18番がエースナンバーになるほどの活躍ができていれば、ダルビッシュ級のスーパーエースが2人も揃う事になる訳ですし、仮にダルビッシュが退団してもエース不在とはならない訳です。ここは是非、斎藤佑には18番をセネタース時代の白木さん以来の球団エースナンバーにしていただきましょう。
ダルの11番。平成19年から今年まで4年連続で開幕投手を務めており、これは昭和63年~平成3年までの西崎と並ぶ球団記録であります。おそらく来季も余程の事がなければ開幕はダルでしょうし、そうなると新記録の5年連続となります。
また、そうなると5度目の開幕投手ともなり、米川さん、高橋直樹さんと並んで球団第2位の回数となります。ここは是非とも再来年も務めていただいて、単独2位になって欲しいものです。西崎の8回は流石ですが、其処に少しでも近付ければ・・・8回務めるまでいてくれるかはかなり微妙でありますが。
また、今後斎藤佑がエース級の活躍を見せてくれるとなれば、前年度の成績やキャンプ&オープン戦の調子如何では斎藤佑が務める事も考えられ、ダルの開幕投手というのも難しくなっていくかもしれません。

おい!アレだ!アレするぞ!
明日のエースは君だ!何度も言うが、背負った番号が自分のエース番号だ!21番は土橋・高橋直樹が、11番はダルビッシュが彼らの腕1本でエースナンバーにまで高めていった。ならば18番も斎藤佑が腕1本でエースナンバーにする事だって出来る!
かつて21番の土橋と19番の尾崎でダブルエースであったように、11番のダルビッシュと18番の斎藤佑でダブルエースといわれるように、まずは斎藤佑がその位置まで登らないとな。
他球団だが、66番のエースには是非とも再びエースとしてマウンドに戻ってきて欲しい。かっこいいじゃない、66番。



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テーマ : 北海道日本ハムファイターズ
ジャンル : スポーツ